相模原周辺の社会福祉に関する情報と地域情報を紹介

じぇね太郎 じぇね太郎の旅
-きらきらと輝いていたあの頃あの場所へ-

地域ヒストリー

旧石器時代の海老名

紀元前25000年
目久尻川流域に人が住み始め(柏ヶ谷長ヲサ遺跡)
紀元前20000年
海老名全体が陸地になる
紀元前10000年
ナイフ形石器の製作技術が伝わる

縄文時代の海老名

紀元前7000年
落とし穴や炉穴が造られる(かしわ台駅前遺跡、杉久保遺跡)
紀元前5000年
「縄文海進」により海西中学校付近が河口(または湾奥)になる
紀元前400年
竪穴住居が造られる(杉久保遺跡、望地遺跡)

弥生時代の海老名

上今泉、国分、本郷にムラができる(尼寺北方遺跡、本郷遺跡)

古墳時代の海老名

小銅鐸で祭祀が行われる(本郷遺跡)
古墳が初めて造られる(秋葉山古墳群、第3号墳)
3~4世紀
瓢箪塚が造られる(上浜田古墳群)
6~7世紀
横穴墓が造られる(杉久保中土合横穴墓群など)

奈良時代の海老名

海老名耕地に条里制が敷かれる
相模国分寺及び相模国分尼寺が建立される
大型掘立柱建物群ができる(本郷遺跡、大谷向原遺跡)

平安時代の海老名

819年
相模国分寺焼失
878年
相模国分寺地震で倒れる
12世紀初
相模守源有兼の子季兼が海老名氏を名乗る
1184年
海老名氏、源頼朝方につき源平の戦いに参加

鎌倉時代の海老名

1221年
承久の乱 海老名氏は北条泰時の指揮下で戦う
13世紀中頃
中世武士の館ができる(上浜田遺跡)
1292年
源季頼が相模国分尼寺に銅鐘を寄進

室町時代の海老名

1438年
永享の乱で足利持氏が海老名に陣を移す
15世紀中頃
扇谷上杉氏の支配下となる
16世紀中頃
小田原北条氏の家臣の領地となる

安土桃山時代の海老名

1590年
豊臣秀吉が恩馬郷4カ村及び国分村に軍勢の乱暴禁止を命じる(小田原攻め)
1591年
徳川家康の家臣の彦坂元正が村々を検地する

江戸時代の海老名

1684年
鈴木三太夫が農民の窮状を訴え直訴企て処刑される(伝承)
1571年
海老名の村々が御鷹捉飼場になる
1742年、1781年、1822年
相模川の大洪水度々起きる
1865年
神尾騒動おきる

明治時代の海老名

1873年
大谷、今泉、国分学舎などの小学校ができる
1889年
町村制施行 海老名村・有馬村
1908年
相模橋設置され河原口の渡船廃止

大正時代の海老名

1918年
海老名村庁舎(現、温故館)完成
1921年
相模国分寺跡が国史跡に指定される

昭和時代の海老名

1940年
海老名村が町となる
1955年
海老名町が有馬村と合併し海老名町となる
1971年
海老名市となる
1982年
郷土資料館として温故館が開館される

平成時代の海老名

1989年
海老名市役所新庁舎となる
1997年
相模国分尼寺跡が国指定史跡となる(2002年追加指定)
2005年
秋葉山古墳群が国指定史跡となる

出典