63歳~64歳 1960年(昭和35年)生まれ
ここでは1960年の流行や出来事を表示しています。
出来事
カラーテレビでの放送開始
1960年に日本で本放送が開始されたカラーテレビ。
登場当初は総天然色テレビジョンと呼ばれていた。
また、カラーテレビ普及を図るためカラー放送を強く意識した番組やスポーツチームが作られ、のちのカラーテレビ普及に大きく貢献した。
ちなみに初の全カラーのアニメ放送はジャングル大帝レオであった。
60年安保闘争
1951年に凍結された日米安保条約は、ワシントンで1960年1月19日岸首相により改定の調印がなされた。これに反対した社会党・労働組合・学生(全学連)及び一般市民は「日米新安全保障条約」に抗議し、6月15日、国会議事堂の周りを大規模なデモ行進をした。8000人を超える学生を動員した全学連は、機動隊と衝突しながらも国会内に突入し中庭を占拠した。この騒動で、東大の女子大生が死亡するという痛ましい惨事が起きた。6月18日には安保阻止統一行動、33万人が国会を包囲するデモを行ったが、19日午前0時、安保条約・協定、自然承認となった。
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流行語
所得倍増
池田勇人は大蔵官僚を経て、吉田茂に見込まれ自由党に入党。蔵相、通産相などを歴任。1960年(昭和35年)自民党総裁となり、三たび内閣を組織した。 しかし、政治家・池田勇人の発言は度々世間を騒がせることになる。「貧乏人は麦を食え」「私は嘘は申しません」などは当時、国民の間で、流行語となった。 そして、そんな彼が発した世紀のキャッチコピーと言われるのが、所得を10年で2倍にするという「所得倍増政策」だった。池田は内閣総理大臣の座に就くと、"所得倍増計画"を掲げ、日本を高度成長の波に乗せていく。
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トップ屋
私は嘘を申しません
昭和32年、自らの政策集団である宏池会を旗揚げ、派閥の長となる。昭和35年、安保闘争の結果岸内閣が倒れると、自民党第四代総裁に就任、内閣総理大臣となる。安保騒動後の不穏な政情のなか「寛容と忍耐」のキャッチフレーズで、国民との対話姿勢を重視し、また、「所得倍増計画」の経済重視を打ち出した。 ある時、国会答弁時に細かい数値をあげて即座に説明したところ、嘘をつくなと言われたが、調査してみるとその数値は正確であったことから、池田自身のキャッチフレーズが「嘘をつかない」となる。その後、1960年の総選挙の際に自民党のテレビCMで「私は嘘は申しません」と発言し、この言葉は当時の流行語となった。
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おもちゃ
だっこちゃん
映像作品
太陽がいっぱい(映画)
フランスの巨匠ルネ・クレマンが監督を務め、パトリシア・ハイスミスの小説を映画化したサスペンス。イタリアに金持ちの道楽息子を連れ戻そうとやって来た貧しい青年が、激情にかられてある犯罪を思い立つ姿を甘美な調べに乗せて映し出す。本作でアラン・ドロンは鋭利な刃物のような危うい美貌と抜群の演技力を披露。映画音楽の名匠ニーノ・ロータの音楽によって際立つ、凶暴なまでの青春の狂気に惑わされる。
主演のアラン・ドロンは本国フランスを中心にヨーロッパで人気を博したが、1960~1970年代の日本でも、爆発的な人気を誇っていた。
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ブーフーウー(TV人形劇)
『ブーフーウー』は、『おかあさんといっしょ』の初代ぬいぐるみ人形劇として、1960(昭和35)年9月から6年半NHKテレビで放送された。童話「三匹の子ぶた」をモチーフにしてそれぞれ個性的な3兄弟子ぶたたちといじわるなオオカミが繰り広げる物語が大ヒットとなった。番組は、司会のおねえさんがカバンから3匹のぬいぐるみの子ぶたを取り出して、そのぬいぐるみをサボテンや家のある小さな舞台に置いて壁のハンドルを回しボタンを押すと、子ぶたたちが(おおきくなって)生き生きと動き出す
―― そんな映像に当時の子どもたちは心躍らせ、熱中した。
主な声優 ブー:大山のぶ代/フー:三輪勝恵/ウー:黒柳徹子/オオカミ:永山一夫
進 行 役 おねえさん:荻昱子 → 里見京子
主 題 歌 「ブーフーウー」作詞:飯沢匡/作曲:小森昭宏/歌:大山のぶ代・三輪勝恵・黒柳徹子
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書籍
性生活の知恵
1960年(昭和35年)に池田書店が出版してミリオンセラーとなった、謝国権による医学啓蒙書、ハウツー本であり、同書を原作として1961年(昭和36年)に水野洽が監督し、大映東京撮影所が製作、大映が配給して公開した日本の長篇劇映画。
1960年(昭和35年)6月25日、初版発行。
著者の謝国権は当時、日本赤十字社本部産院(現在の日本赤十字社医療センター産科)の医局長を務めており、内容的には刺激的ではあったが、初版で終わっても読者の幸福に貢献したいとの思いで出版され、発売禁止処分にならぬよう留意した。
初版3,000部は、版を重ねて1年間で152万部のベストセラーとなり、1970年(昭和45年)4月には第138刷、200万部を突破した。
大映東京撮影所は、同書のベストセラー化を受けて、1961年(昭和36年)、同書を原作に、5話構成オムニバス形式による同名の劇場用映画を製作、同年7月28日にこれを公開した。
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ヒット曲
アカシアの雨がやむとき
ズンドコ節/小林旭
軍歌のひとつといわれることもあるが、実際のところは戦地に赴く男たちの本音を歌った流行歌のようなもの。
炭鉱や漁港で歌われていたリズムを元に門司出身の学生M・K氏が作曲したものとされている。
作詞・作曲者が不詳であり権利上の問題が発生しないため、多くの歌手によってリメイク版が製作されている。
1960年に小林旭がカバー。
『海から来た流れ者』シリーズの第2弾『海を渡る波止場の風』のテーマ曲として誕生した。
歌詞は大きく変わり、曲のテーマは「若い男女の恋物語」となった。
元々は小林の『アキラの鹿児島おはら節』のB面曲であったが、こちらのほうがヒットした。
作詞:西沢爽
補作曲:遠藤実
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