1982年(昭和57年)生まれ

出来事

ホテルニュージャパン火災

プロジェクトX 挑戦者たち 炎上 男たちは飛び込んだ~ホテルニュージャパン・伝説の消防士たち~のDVD

1982年2月8日午前3時過ぎ、国会議事堂のすぐ近く、東京・千代田区永田町にあるホテルニュージャパンから出火。

地上10階地下2階のうち9,10階を中心に4000平方メートル超が焼け、死者33人という大惨事となった。

このうち13人は窓から飛び降りて亡くなった。

出火原因は9階に宿泊していたイギリス人男性の寝たばこと判明したが、スプリンクラーなど防火設備や訓練が不十分で被害を拡大させたとして、ホテルの社長と支配人が業務上過失致死罪で起訴され、横井英樹社長は禁固3年の実刑判決を受けた。

流行語

ネクラ

ネクラには刺激が強すぎるキラキラした弟が2人もできました 1巻

ネクラとは、表面は明るく振る舞っているが、根は暗い性格の人を指す俗語であり、最初は陽気に見えるが実はネクラというようなギャップを示す言葉だったが、世間に広まっていく過程で、性格の根底が暗い、無口そう、いつまでも根に持ちそう、不平・不満・愚痴ばかり言ってそうなど、性格の根底が暗いという使われ方になった。

「笑っていいとも」でも有名なタレントのタモリこと森田が番組内で、「私はこう見えても根が暗いんですよ。」と言った事が流行のきっかけとされている。

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映像作品

ミラクル・ワールド ブッシュマン

ミラクル・ワールド ブッシュマンの映画パンフレット

ジャミー・ユイス(英語版)監督による1980年製作の南アフリカ共和国のコメディ映画。現在は『コイサンマン』に改題されている。

南アフリカ・ボツワナ共和国の砂漠に居住する、当時ブッシュメンと呼ばれていたサン人の生活をコメディタッチで描いた作品。

1989年には続編の「The Gods Must Be Crazy II」が制作されている。

主演のニカウは日本でも人気者となり1983年に来日している。

日本での配給収入は23億7000万円,1982年の年間1位。

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書籍

積木くずし

積木くずし―親と子の二百日戦争 単行本

1982年に桐原書店から出版された、実話を基にした穂積隆信による体験記である。

副題は「親と子の二百日戦争」。 著書の出版の1年後の1983年から1984年にかけて、東宝によりテレビドラマ化、映画化、舞台化された。

ある日、突然不良少女となった実娘・穂積由香里との200日間の葛藤を描いた作品であり、日本国内で300万部を出版。

続編として「積木くずし あとさき悩める親からのアドバイス」「積木 その後の娘と私たち」「積木くずし(続)」『積木くずし崩壊 そして…」「由香里の死 そして愛 積木くずし終章」が出版されている。

社会問題となっていた非行を、著名な俳優の家庭環境として描いたことは反響を呼び、テレビドラマ化もあいまって、穂積自身の「積木くずし」関連の仕事や講演が急増し、その後も、由香里の再度に渡る補導や穂積の妻との離婚など波乱は続いていった。

1983年からTBSで放送された最初のテレビドラマ版である『積木くずし・親と子の200日戦争』(全7回)は最終回の視聴率は関東地区で45.3%となり、この視聴率は現在も越えられることはなく歴代1位となっている。

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ヒット曲

待つわ/あみん

待つわ/あみん

あみんは当時、名古屋市の現役の女子大生の岡村孝子・加藤晴子のデュオであった。

第23回ヤマハポピュラーソングコンテスト(通称:ポプコン)において「待つわ」でグランプリを獲得、その後同曲がファースト・シングルとして採用され、デビューした。

1980年代を通してもシングル売り上げのベスト10入り(120万枚超)、女性アーティストの自作曲しかもデビュー作としては70~80年代唯一のオリコン1位となり、80年代のヒットソングの中でも、認知度100%と断言していいほどの鮮烈なメガヒットぶりだった。

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