1977年(昭和52年)生まれ

出来事

ダッカ日航機ハイジャック事件

講談社DVD・BOOK全集 昭和ニッポン 第21巻 日本赤軍日航機ハイジャック事件と王選手756号 (昭和52年~55年) (講談社DVD BOOK)

1977年に、日本赤軍が起こしたハイジャック事件である。

ダッカ事件とも呼ばれる。

日本赤軍グループ5名は1977年9月28日、パリ発東京行きの日航機をハイジャックして、バングラデシュのダッカに着陸させた。

犯人グループは、日本で服役及び勾留中の赤軍派メンバーらの釈放や身代金600万ドル(約16億円)の要求を実現させた後、人質を解放しながら、クウェート、シリアのダマスカスと移動。

最終的にはアルジェリアのダル・エル・ベイダ空港(アルジェ)で全人質を解放して投降した。

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青酸コーラ事件

日本未解決事件 Kindle版

1977年1月、東京都港区の公衆電話ボックスなどに置かれた青酸入りコーラを飲んだ高校生ら二人が死亡し、この電話ボックスから600メートルの路上で倒れていた作業員も死亡した。 大阪・藤井寺市では作業員が突然意識不明になった。 3人ともコーラに入っていた青酸化合物が原因とみられる。 事件は解決しないまま、時効を迎えた。

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流行語

たたりじゃー

あの頃映画 「八つ墓村」 [DVD]

1977年10月29日に公開された映画「 八つ墓村」は、テレビやCMなどで度々放送され、「祟りじゃ〜っ! 八つ墓の祟りじゃ〜っ!」というセリフが流行語になった。

尚この映画は金田一耕助シリーズの一つで、監督は野村芳太郎、主演は萩原健一、金田一役は渥美清、配収19億9000万円を挙げた松竹映画の大ヒット作である。

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おもちゃ

こえだちゃんと木のおうち

こえだちゃん おしゃべりコレクション こえだちゃんと木のおうち

ケナー社から1970年頃に発売された「Family Tree House」を日本用のキャラクターにアレンジした物をタカラトミーが1977年に発売開始した。

木のてっぺんを押すと葉っぱの屋根が開き、部屋が出現する仕組みとなっている。横のダイヤルはエレベーターが上下する仕組みである。

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映像作品

人間の証明 (映画)

人間の証明 角川映画 THE BEST [DVD]

「母さん…僕のあの帽子どうしたでしょうね?夏…碓氷から霧積へ行く道で、渓谷に落としたあの麦わら帽子ですよ」のCMで日本中に知れ渡った森村誠一の小説の映画化である。

小説も昭和のベストセラーと呼ばれ、ドラマ化もされ一世を風靡した。エレベーター内で死んだ謎の黒人からストーリーが始まり、複数の目線からストーリーが進行、散りばめられた伏線が芸術的に繋がり、驚愕の真相へ辿り着くのだった。

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RooTs ルーツ(海外ドラマ)

アメリカという国家の歴史上、最も暗い側面のひとつである黒人奴隷の問題を真っ正面から描き、社会現象と言えるような大反響を巻き起こした。人種・民族を問わず好評を博した。

西アフリカのガンビアで生まれた黒人少年クンタ・キンテ(英語版)を始祖とする、親子三代の黒人奴隷の物語を描いている。

アメリカではABCが1977年1月23日〜30日に8日連続で放送、平均視聴率44.9%(エーシーニールセン調べ、全米視聴率)を記録した。

日本ではテレビ朝日が1977年10月2日から8日連続で放送、平均視聴率23.4を記録した。

日本でも「ルーツ」が流行語となり、自分のルーツ探しが流行った。

ルーツという英語はこの時点で外来語として定着し、今日に到っている。

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ヒット曲

勝手にしやがれ/沢田研二

勝手にしやがれ

第19回日本レコード大賞・大賞。第19回日本レコード大賞・大賞。第10回日本有線大賞・大賞。

オリコンでの売上げ記録は89万枚で、自身の『時の過ぎゆくままに』の92万枚に次ぎ、沢田の代表曲のひとつとなった。

第28回NHK紅白歌合戦に出場した際、間奏中にジャケットを脱ぎ捨てようとしたところ、左袖が引っかかり脱げないというハプニング(衣装にパンクファッションを取り入れており、左腕に手錠をしていた)もあったが、咄嗟の機転でジャケットを左肩にかけ、歌いながら脱ぎ捨てて生放送中のピンチを切り抜けた。

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津軽海峡冬景色/石川さゆり

「津軽海峡冬景色」は、1977年に発表された日本の歌謡曲で、石川さゆりの代表曲の一つである。

作詞は阿久悠、作曲は吉田拓郎が手がけ、北国の風景と切ない恋を描いた歌詞が特徴的。冬の津軽海峡の厳しい寒さや雪景色を背景に、遠い恋人との別れを歌っている。

石川さゆりの力強い歌声が、聴く者の心に寒々とした風景を思い起こさせる。

発表後、数々のアーティストによってカバーされ、日本の歌謡曲の名曲として広く親しまれている。

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