1976年(昭和51年)生まれ

出来事

ロッキード事件・田中角栄逮捕

ロッキード事件

アメリカの航空機製造会社、ロッキード社の旅客機トライスター日本売り込みにからむ疑獄事件。

1976年(昭和51年)、アメリカ上院外交委員会で発覚した。

事件の中心は当時の首相田中角栄が全日空に対し、首相の職務権限に基づきトライスター導入を指導し、その代償として五億円を収賄した点で、この他20億円あまりの賄賂が政治家に渡された。

この結果田中ら政治家、全日空・丸紅の幹部らが逮捕され、一審では病気の児玉誉士夫を除く全員が有罪、特に田中は懲役四年の実刑判決を受けた。

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日本初の五つ子誕生

日本初の五つ子詳細収録のDVD

1976(昭和51)年1月31日、鹿児島市立病院でNHKの政治記者、山下頼充さん夫妻に日本初の五つ子(男児2人、女児3人)が誕生、明るい話題に日本中が沸いた。

排卵誘発剤を使っての妊娠で、5つ子は日本では初めての多胎児出産だった。

5月12日、東京の日大板橋病院に移り、9月27日に全員元気に退院した。

東京での新たな育児生活が始まり、夫婦の母親、3人のベビーシッターが育児の協力にあたった。

父親がNHK職員だったこともあり、五つ子の成長記録は、生まれる前から小学校に入る頃までの6年間に渡ってドキュメンタリー特集が組まれ、現在の大家族ドキュメントの先駆け番組となった。

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映像作品

犬神家の一族

犬神家の一族 角川映画 THE BEST [DVD]

1976年(昭和51年)10月に公開された日本映画。

横溝正史作による同名の長編推理小説の映画化作品の一作であり、製作は角川春樹事務所、配給は東宝。

1970年代中頃から1980年代中頃にかけて一種のブームとなった角川映画の初作品であり、市川崑監督・石坂浩二主演による金田一耕助シリーズの第1作でもある。

金田一耕助を初めて原作通りの着物姿で登場させた映画としても知られる。横溝本人もゲスト出演(民宿・那須ホテルの主人役)している。

「波立つ水面から突き出た足」のシーンや、不気味な白マスク姿の佐清などの印象的な場面が多く、後に何度もパロディにされている。

大野雄二による主題曲「愛のバラード」も有名である。

映画は15億6000万円の配給収入を記録し、大ヒットした。

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徹子の部屋(TVバラエティ)

1976年2月2日からテレビ朝日系列で、毎週月曜日から金曜日の13:00 - 13:30に放送されている長寿トーク番組で、毎回、司会の黒柳徹子が様々なゲストとトークを楽しむ形式で、黒柳徹子の冠番組でもある。

前身の日本教育テレビ時代の1976年2月2日から、2022年現在、放送47年目、放送回数11000回以上を数える長寿番組で、番組開始当時の黒柳は42歳で、当番組の司会を人生の半分以上にわたって務めている。

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クイズダービー(TVバラエティ)

1976年 (昭和51年) 1月3日から1992年 (平成4年) 12月19日までの17年間にわたってTBS系列で毎週土曜日の19:30 - 20:00 に放送された大橋巨泉の司会によるクイズ番組・ゲーム番組である。

ロート製薬の一社提供。全862回。

番組開始当初は、複雑なルールが災いして視聴率が低迷し、再三打ち切りが検討されたが、スポンサーであるロート製薬の意向もあり番組は継続し、同年、第28回よりルールを単純化したところ秋頃には視聴率が20%を超え、TBSを代表する看板番組となった。

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書籍

限りなく透明に近いブルー(村上龍)

限りなく透明に近いブルー(村上龍)の書籍表紙

村上龍によって書かれた小説。村上龍のデビュー作であり、代表作である。

第19回群像新人文学賞受賞を受けて、『群像』1976年6月号に掲載された。

同年7月5日、第75回芥川賞を受賞。

7月9日、講談社より単行本化された。装丁は著者自身が手がけている。

発行部数は単行本131万部(2005年現在)、単行本・文庫本の合計で367万部(2015年現在)[1] に達する。

芥川賞受賞作としては史上1位(単行本部数のトップは又吉直樹『火花』)。

詩的な表現や過去に前例の無い文章表現などを多用し、当時の文芸界に衝撃を与えた作品である。

荒廃していく若い男女を描いたために、よく石原慎太郎の『太陽の季節』と対比される。

ストーリーは村上龍が20代の頃過ごした福生市での体験を基にしている。

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ヒット曲

およげ!たいやきくん/子門真人

およげ!たいやきくんのCD+DVD

『およげ!たいやきくん』は、1975年にフジテレビの子供向けの番組『ひらけ!ポンキッキ』のオリジナルナンバーとして発表、リリースされた童謡。

トータル売り上げは453.6万枚にも達しオリコン歴代シングル売り上げ1位の座を維持し続けており、「日本の最も売れたシングルレコード」としてギネス世界記録にも認定されている。

子ども調査研究所が「およげ! たいやきくん」のブームについて調査した結果によると、幼児・小学校低学年の子供とその(若い)父親からブームの火がついたとされ、レコードを購入した父親の意見は「子供が欲しがったし、親も興味があった」「子供が喜びそうなので」といったものが大半を占めたというが、「たいやきくん=サラリーマン」だと解釈して歌を聞くと、毎日会社で必死に働いているけど、嫌になって他の世界に飛び出したというサラリーマンの苦悩が歌われているという解釈もある様だ。

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木綿のハンカチーフ/太田裕美

「木綿のハンカチーフ」(もめんのハンカチーフ)は、太田裕美の楽曲で、4枚目のシングル。1975年12月21日に発売された日本のヒット曲である。

作詞は松本隆、作曲は筒美京平。はっぴいえんどから作詞家に転身した松本隆の出世作となった。

この曲の大ヒットにより、太田の楽曲は以降しばらく松本・筒美のコンビが担当することとなった。

「炭鉱の閉山もあって大阪や東京へ出て行く人が多かった」という話を参考にしたといことであったが、松本は東京都港区青山の出身で何故ここまでヒットしたか当時は自分でも釈然とせず、高校生の息子を海外留学させた時に、初めて遠隔地に住む大事な人を気遣う主人公の気持ちが実感できたということである。

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