1975年(昭和50年)生まれ

出来事

沖縄海洋博覧会開幕

沖縄海洋博覧会ガイドブック

1975年(昭和50)7月20日、沖縄島北部にある本部町で「海-その望ましい未来」をテーマに沖縄国際海洋博覧会が開幕しました(開会式は7月19日)。

1976年(昭和51)1月18日までの会期中、350万人が来場しました。

この博覧会は、沖縄の日本復帰を記念し、全国民をあげてこれを祝うことを目的として開催されました。

また、世界で初めて「海」をテーマに開催された国際博覧会でもありました。

沖縄県は、県内財界および県民から資金を募って、「沖縄館」を出展し、沖縄の歴史と文化を紹介しました。

画像は「沖縄国際海洋博覧会公式ガイドブック」の書籍販売ページにアクセスできます。

田部井淳子が女性初エベレスト登頂

タベイさん、頂上だよ (ヤマケイ文庫)

1975年、日本人女性15人だけで構成されたエベレスト日本女子登山隊 副隊長兼登攀隊長として、女性で世界初の世界最高峰エベレスト8848m(ネパール名:サガルマータ、チベット名:チョモランマ)登頂に成功。

その後、日本女性で登頂したのは難波康子(1996年)で、田部井が登頂成功した21年後である。

画像は「タベイさん、頂上だよ (ヤマケイ文庫)」の書籍販売ページにアクセスできます。

流行語

アンタあの娘のなんなのさ

アンタあの娘のなんなのさ

「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」は、1975年4月20日に東芝EMI(現:ユニバーサルミュージック/EMI Records Japan)から発売されたダウン・タウン・ブギウギ・バンド4作目のシングル曲で、この中のセリフ「一寸前なら憶えちゃいるが一年前だとチト判らねェなあ髪の長い女だってここにゃ沢山いるからねェワルイなあ 他をあたってくれよアンタ あの娘の何なのさ!」が人気となったが、特に「アンタ あの娘の何なのさ」の部分が流行語となった。

画像は「ダウンタウンブギウギバンド」のCD販売ページにアクセスできます。

おもちゃ

モーラー

モーラー

モーラーとは増田屋コーポレーションが1975年に発売した玩具。増田屋コーポレーションは、創業1724年の日本屈指の老舗玩具メーカーである。

本体はオレンジ色のモール製で全長235mm、二つの目と尖った鼻を有する顔はタツノオトシゴのような感じであり、鼻の先にはテグスが結びつけられていて、テグスを操作していかにもモーラーが生きているかのように見せるというおもちゃである。

発売直後に爆発的なヒットとなり、初年度に200万個を売り上げた。

画像は「モーラー」の販売ページにアクセスできます。

映像作品

タワーリング・インフェルノ

タワーリング・インフェルノ

1974年のアメリカ合衆国のパニック映画。監督はジョン・ギラーミン、主演はポール・ニューマン、スティーブ・マックイーン。ワーナー・ブラザース・20世紀フォックス共同製作・提供作品。日本では1975年に公開された。

超高層ビル火災を描いた映画。本作品は1970年代中盤期のいわゆる「パニック映画ブーム」の中でも最高傑作と評されている[要出典]。1974年度のアカデミー賞で撮影賞、編集賞、歌曲賞を受賞。

1975年6月28日から、東京では丸の内ピカデリー・パンテオンなど6館、その他全国72館でロードショー公開されて、その後全国117館に拡大されて、当時は初めてと言われた全国拡大興行を展開した。前年大ヒットした『ゴッドファーザー』『エクソシスト』を破り洋画ヒット作の最高を記録した。

画像は「タワーリング・インフェルノ (字幕版)」のプライムビデオにアクセスできます。

JAWS ジョーズ

『ジョーズ』(原題:Jaws)は、スティーヴン・スピルバーグ監督による1975年のアメリカ映画。

原作は1974年に出版されたピーター・ベンチリーによる同題の小説(英語版)。

映画史における分岐点となる夏の超大作映画の原型となり、音楽や編集でアカデミー賞を始めとするいくつかの賞を受賞した。

1977年の『スター・ウォーズ』の公開まで世界最高興行収入記録を保持した。

機械仕掛けのサメは頻繁に故障するアクシデントに見舞われ、サメを直接見せない形に切り替え、サスペンス性を高めた。

また、サメの存在を暗示するジョン・ウィリアムズが作曲した独特の不気味で不吉なテーマもよく知られる。

画像は「ジョーズ (字幕版)」のプライムビデオにアクセスできます。

ヒット曲

シクラメンのかほり/布施明

シクラメンのかほり/布施明

「シクラメンのかほり」はシンガーソングライターの小椋佳が某銀行に勤めていた際、取引先の会社で休憩していた時に見た、シクラメンをヒントに思い浮かんだものである。

このが楽曲は布施明が歌唱して、大ヒットとなり、下記の様な数々の賞を獲得した。

第17回日本レコード大賞。第6回日本歌謡大賞。第8回日本作詩大賞。第4回東京音楽祭国内大会・ゴールデンカナリー賞。第4回FNS歌謡祭・グランプリ。

今作がヒットしたことは、翌年1976年に米国から帰国すると、『NHKコンサート 小椋佳の世界』を果たすことになり、初のテレビ放送に出演する。

画像は「エッセンシャル・ベスト 布施明」のアマゾンミュージックにアクセスできます。

年下の男の子/キャンデーズ

「年下の男の子」(とししたのおとこのこ)は、1975年2月21日に発売されたキャンディーズの6枚目のシングル。

キャンディーズ初のヒットとなり、オリコンチャートトップ10に初めてランクインした。

キャンディーズのデビューから3年、1976年のデビュー直後から社会現象的に爆発的な人気を博したピンク・レディーとは同じ女性アイドルグループとして比較されることが多かった。

しかし1977年の夏、人気絶頂となりつつあったキャンディーズは、突如解散を発表する。同年7月17日、日比谷野外音楽堂のコンサートのエンディングでそれから「私たち、9月で解散します」と突然の解散を宣言。

その時に、ランが発言した「普通の女の子に戻りたい!!」は当時の流行語にもなっている。

画像は「年下の男の子/キャンディーズ」のアマゾンミュージックにアクセスできます。

arrow_upward