異星人ガミラス帝国による侵略(注:先に仕掛けたのは地球側)で滅亡の危機に瀕した地球を救うため建造された恒星間航行用宇宙戦艦「ヤマト」の遠大な旅と戦いを描く。
1974年10月6日から1975年3月30日まで26回にわたり、讀賣テレビ放送をキー局として放映された。
当初は裏番組が『アルプスの少女ハイジ』『猿の軍団』と重なったこともあり、低視聴率に苦しみ、本来の予定回数の全39話から全26話に短縮された。
視聴率は低調に終わったがSFファンからは人気を得て、日本SF大会のファン投票で星雲賞を受賞する。
『宇宙戦艦ヤマト』を折りたたむ
『宇宙戦艦ヤマト』の企画は西崎義展プロデューサーが1973年の初め頃に企画を立ち上げ、制作期間の半ばからデザインのスタッフとして松本零士が参加。結果的には、松本はキャラクターや個々のストーリー作りなど作品制作に深く関わるようになる。
本放送時は視聴率に苦戦したものの再放送が各地で行われるにつれ、再評価されるようになっていった。特に関東地方では20%の視聴率を記録した。この再放送や映画化(別項)により社会現象とも言える大ブームを巻き起こし、ヤマトブームのみならず、後述のアニメブームの他、アニメ史上で様々な影響をもたらした。
それまでは子供のものとされていたアニメ作品に中・高校生から青年層までの幅広い視聴者が存在していたことを広く示すことになった。
その後の『銀河鉄道999』『機動戦士ガンダム』『超時空要塞マクロス』『新世紀エヴァンゲリオン』等は、ヤマトのヒットがなければ、どうなっていたかわからない。
後にビデオやCD、LD、DVD、テレビゲームなどもリリースされている。続編やリメイク作品も制作された。
当時はまだ、アニメのBGM集という商品は存在しなかった。本作から、アニメ音楽のサウンドトラックはオーケストラが増えて、ビデオがまだ普及していない時代において音楽編とともにドラマ編がリリースされていた。
富野喜幸(現:富野由悠季)、安彦良和らも制作スタッフとして参加しており、主に絵コンテを担当した。但し富野は制作への参加は乗り気ではなく、強引に発注された絵コンテのストーリーが気に入らず内容を改竄して、参加は第4話のみである。
西崎主導の作品と分かって縁を切るために喧嘩を売ったのだと富野は自著で回想している。ただし富野はプロデューサーとしての西崎については評価しており、『機動戦士ガンダム』を制作した理由もライバルとして評価する西崎を打倒するため、ロボットものを使ってでもヤマトを潰すためだったと公言している。
同人誌即売会のコミックマーケットは当初は少女マンガが中心であったが、本作によりアニメのサークルの参加が増え始めた。
1970年代から1980年代の声優ブームは、本作のヒットによってアニメ声優が注目された影響とも言われる。
漫画市場においても、『宇宙戦艦ヤマト』が、漫画とテレビアニメの関係がどちらが主体とは言い難い複雑で密接なものとなり、メディアミックスによる市場拡大がなされる転機となった作品との評価がある。
後のクリエイターに与えた影響も大きく、庵野秀明や出渕裕らはヤマトがなければ今の自分はなかったとの旨を語っている。
『ヤマト』のブームを引き継ぐ形で『銀河鉄道999』『機動戦士ガンダム』が人気を得たことで、ヤマト単体のブームに終わらず、アニメブームの火付け役になったとの評価がされている。
全国各地でファンクラブが結成される。ファンクラブは最盛期には全国で851団体、15万人を数えたという。
ファンクラブは西崎プロデューサーの呼びかけに応えて、主題歌のラジオ番組へのリクエストや映画公開の際にはポスター貼りなどを行って、ヤマトブームの盛り上げに一役買った。
オフィスアカデミーが主宰し、西崎が会長の公式ファンクラブ「宇宙戦艦ヤマト・ファンクラブ本部」が発足し、機関誌『宇宙戦艦ヤマト』を発行していた。
『宇宙戦艦ヤマト』によって多数のアニメ雑誌が誕生した。
当時は児童向けのテレビ雑誌の『テレビマガジン』『テレビランド』『冒険王』があった程度で、アニメ雑誌は存在せず、まずサブカルチャー雑誌としてスタートした『月刊OUT』が1977年6月号(創刊第2号)でヤマト特集を行った。
この号は雑誌としては異例の増刷になった。若者向けの商業誌で本格的にヤマトが取り上げられたことは初めてであり、『月刊OUT』の50ページのヤマト特集がヤマトブームの火つけ役だったとも言われる。
さらに同年8月に発売されたテレビランド増刊『ロマンアルバム宇宙戦艦ヤマト』はファンクラブに入っていない層からの多大な反響を得て『アニメージュ』に繋がるアニメ雑誌の流れを作る。
上で挙げたような好ましい影響ばかりだけではなく、カルト教団といった社会の暗部にも影響を与えている。特にオウム真理教は様々なサブカルチャーの影響を受けているとされている。
以下は宇宙戦艦ヤマト劇場版について記述する。
1977年に公開されたテレビ放映版の再編集作品。
当時の西崎義展はまだ無名プロデューサーで、宇宙戦艦ヤマトはテレビでは商業的に失敗に終わった作品のため、試写を観た大手映画会社の東宝、松竹や、洋画配給の東宝東和、日本ヘラルド映画から「こんなのは稼がない」と配給を蹴られ、西崎が東映の岡田茂社長(当時)に泣きつき、東映での配給を依頼、岡田が観て面白いことを確認して配給を決めた。岡田が買った理由は「うちはほかに作品がないから」である。
岡田が東急レクリエーションと話し合い、東京都内は東急レクリエーション(都内の劇場4館)、地方は東映洋画の劇場チェーンでの配給を決めた。岡田は「私が西崎氏の才能を発見した」と話している。当初西崎はこれを最後にアニメから手を引き、オフィス・アカデミー自主配給でファン向けに1週間だけ劇場公開するつもりだったという。
岡田は戦艦を天空に浮かべるという奇想天外なアイデアに舌を巻き「ああいう発想は俺達のような映画屋では絶対に生まれない。げに恐ろしきものは素人」と西崎を評し、腹心の吉田達プロデューサーを2年半、オフィス・アカデミーに出向させ、ヤマトシリーズ作品を担当させて、西崎の取り込みを計った。岡田は外部からの変わり者には吉田を担当に就けた。ヤマトシリーズは、岡田にアニメ映画の威力を強く印象付けて、東映がアニメ映画を多数製作していく切っ掛けとなった。
"アニメブーム"の勃興に一役買った岡田は、「映画製作はファッション。絶えず大衆の求めているものは揺れ動いている。これについてゆくためには、まったく別の発想のモノを入れ込むこともやらにゃダメ。角川春樹クンに頼んでシャシン入れてもらったのも、西崎クンが入って来てアニメ映画の革命を起こしたのも、みんなそれ」などと述べている。
元々は16ミリのレンタルフィルム向け総集編として製作されたことと予算不足で、追加シーンは16mmフィルムで撮影されている。そのため35ミリフィルムで撮影されたテレビ版からの再利用部分に比べると画質が粗い。
劇場版『宇宙戦艦ヤマト』の存在が一般に知られるようになったのは『月刊OUT』誌の1977年6月号(同4月下旬発売、創刊第2号)においてである。同号には、ヤマト・アソシエイション(YA)というファンクラブの協力により、西崎義展のインタビュー、エピソード・ガイド、キャラクター・ガイド、ヤマト百科などを含む全60ページのヤマト大特集が掲載された。
『月刊OUT』が8月号(6月下旬発売)で再び『宇宙戦艦ヤマト』を取り上げ、8月6日から劇場公開されるという情報を掲載。元々、オフィスアカデミーの自主配給により新宿の映画館でファンのみを対象とした1週間の上映会を行う予定だったが、同誌6月号に対するファンの好反響などを受け、東急レクリエーション系4館での公開が決定したのである。
同号には前売券の入手方法も掲載され、前売券が大量に売れる。
1977年8月5日夜、公開を翌朝に控え、セル画プレゼントを目当てにしたファンが劇場前に行列を作った。それまで、ホラー映画『エクソシスト』で徹夜が生じたことはあったが、日本映画で初めて徹夜組が出たのはこのヤマト劇場版第1作だと言われている。
この時に徹夜で行列したファンの数は2万人以上といわれる。
地方での上映館が増えたのは、アメリカ映画『ブラックサンデー』の上映中止事件によって穴が空いた地方の映画館が存在したことも一因だった。最終的に225万2000人の観客を動員し、9億円の配給収入、21億円の興行収入をあげて、1977年の日本映画では9位(※)の興行成績を記録した大ヒット作品となった。
(※なお1977年の映画の興行収入ランキングを見るとヤマトは掲載されていない場合も多い。これは映画雑誌などの「アニメ映画は映画とは認めない、ゆえにランキングには載せない」と云う映画屋のプライドによるものである。当時はいかにアニメが見下された存在かを証明するものになっている)
当時は長編のアニメ映画といえば、東映動画(現・東映アニメーション)による低年齢向けの東映まんがまつりの独擅場という状況であったが、劇場版ヤマトのヒットはこの状況を打ち破り、ハイティーンのアニメファン向けにテレビアニメ再編集版や新作の長編アニメが続々と劇場で公開されるアニメ映画ブームをも巻き起こした。
『宇宙戦艦ヤマト』が1977年8月に劇場公開されたとき、“アニメブーム”なる言葉が生まれ、本作の大ヒットから、それまでテレビの夕方の子供向けの時間帯にひしめいていたアニメーション映画が大型化されて劇場に進出するようになった。長く低迷していた東映アニメーションが本作を機に復活、配給した東映洋画が飛躍する原動力にもなった。宣伝面では従来の「まんが映画」に代わって「アニメ」という言葉を全面に押し出し、特典付き前売券や初日舞台挨拶やセル画プレゼントなど、後発のアニメ映画で一般的になる手法を使った奔りとなったのが本作である。
『宇宙戦艦ヤマト』を折りたたむ
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