1971年(昭和46年)生まれ

出来事

カップヌードル誕生

カップヌードル

カップヌードルは1971年に日清食品から発売されたカップ麺である。

そのカップヌードルが大きく注目されたのが1972年のあさま山荘立てこもり事件。総視聴率80%の中継映像で写されたのが、カップヌードルを食べる機動隊員であった。

この一件で知名度は大きく跳ね上がり生産が追いつかなくなる事態にまで発展した。

画像は「日清 カップヌードル 77g×20個」の販売ページにアクセスできます。

ボウリングブーム

ボウリングブーム

1960年代後半から1970年代にかけて、ボウリングの一大ブームが巻き起こり、社会現象となる程であった。

その火つけ役は当時のスタープロたち、須田開代子や中山律子らであった。

全国の街中にボウリング場が乱立し、子どもからお年寄りまで広い層から爆発的な人気を博し、ボウリングシャツ、ボウリングシューズも流行した。

しかしボウリングブームは長続きせず、1972年時点で全国に4000近くあったボウリング場も年々人気が下降し、2000年には1000程度まで減少してしまった。

流行語

脱サラ

脱サラ

企業に勤め、会社の給料で生活する「サラリーマン」。日本経済が驚異的な成長を遂げた1955年ごろから1970年代初頭、日本は「企業戦士」等の勤勉なサラリーマンを生み出した。

この、高度経済成長を支えたサラリーマンが、自ら会社を辞め、起業したり、資格を生かした専門職に就いたり、農業や漁業を行なったりと、独立して商売や仕事を始める事を「脱サラ」と言う。

1971年サラリーマンを辞めて自立し、起業することがブームとなり、多くの『脱サラ入門書』が出版され売れた。

元祖ダメおやじ

『週刊少年サンデー』で連載されていた古谷三敏のギャグ漫画『元祖ダメおやじ』がブレークし、流行語となった。

何をやらせてもダメな父親が、凶悪な家族たちにひたすらイビられまくるギャグマンガだが、シュールなまでに繰り返されるイビりを見ていると、なぜか笑えてくる過激ギャグ大傑作!

画像は「元祖ダメおやじ」の販売ページにアクセスできます。

アンノン族

雑誌「anan」や「non-no」を小脇にかかえて旅行する女の子たちのこと。

女性誌『an・an』(アンアン)や、『non-no』(ノンノ)は、ファッション雑誌ではあるが、この年、旅行特集に力を入れ掲載された。

それにより特集を組んだ観光地には、この雑誌をガイドブック代わりに持ち、一人で旅行する若い女性が増えていった。

その状況をマスコミが、アンノン族と呼んだ事から流行語となった。

画像は「女性雑誌とファッションの歴史社会学―ビジュアル・ファッション誌の成立 単行本」の書籍販売ページにアクセスできます。

おもちゃ

アメリカンクラッカー

アメリカンクラッカー

1971年3月上旬、アサヒ玩具が「アメリカで大流行のおもちゃ」として発売したのがきっかけでヒット商品となった。

プラスチック製の2つのボールをリズムをとって「カチカチ」とぶつけて遊び、「カチカチボール」とも呼ばれた。

「遊戯中にボールが外れ、怪我をした」「音がうるさい」などのクレームが相次ぎ、わずか1ヶ月でブームは下火となった。

画像は「アメリカンクラッカー」の販売ページにアクセスできます。

パーフェクトボウリング

1970年代は空前のボウリング・ブームが巻き起こり、多くのおもちゃメーカーからボウリング・ゲームが発売された。

1960年終わり頃に、スコアが計算される機械化が進みブームが始まったので、1971年頃から一気にボウリングゲームが数多く登場した。

中でもエポック社の「パーフェクトボウリング」はブーム時に“さわやか律子さん”と呼ばれた中山律子プロがパッケージになって、爆発的に売れた。

画像は「パーフェクトボウリング」の販売ページにアクセスできます。

映像作品

仮面ライダー

仮面ライダー

「仮面ライダー」は、1971年4月3日から1973年2月10日まで、NET系列で毎週土曜19:30~20:00(JST)に全98話が放送された、毎日放送・東映制作の特撮テレビドラマである。

本作品の基本線は、等身大のヒーローと怪人が対決する痛快SF怪奇アクションドラマである。従来の実写ヒーロー物とは一線を画した「異形」のヒーロー像と、人間ドラマとしての側面を極力抑えた勧善懲悪劇、怪奇ドラマ的な演出、そして颯爽とオートバイを駆って「ライダーキック」などのダイナミックなアクションを繰り広げる格闘シーンや、多彩な動植物をモチーフとした特異でグロテスクな怪人の登場が特徴。

原作漫画は石森章太郎が担当し、少年向け雑誌『週刊ぼくらマガジン』(のちに『週刊少年マガジン』に連載誌を変更)に漫画版を連載した。

画像は「仮面ライダー」のDVD販売ページにアクセスできます。

おれは男だ!(TV学園ドラマ)

『おれは男だ!』は、津雲むつみの漫画を原作として森田健作主演により日本テレビ系列で1971年から1972年にかけて放映された学園ドラマである。

永遠の青春男児・森田健作の代表作にして多くの人に愛された熱血青春ドラマの名作である。

学校内のウーマンリブ運動に対抗するために剣道部を立ち上げ男子生徒を集結、女子生徒と対決するのだが・・・。

1987年にはテレビドラマの後日談として実写映画『おれは男だ!「完結編」』も公開された。

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天才バカボン(TVアニメ)

「天才バカボン」は、赤塚不二夫の漫画『天才バカボン』を原作としたテレビアニメで、昭和46年9月25日~昭和47年6月24日(1971年~1972年)まで土曜日の18:30 ~19:00(15分番組×2話)に全40回全79話が放送された。

『天才バカボン』のアニメ化作品の1作目である。よみうりテレビ、東京ムービー制作。

常識や理屈がまったく通用しないバカボンのパパが、周囲の個性的なキャラクターたちとメチャクチャなやりとりを繰り広げる。

シュールで無意味なギャグ漫画である。

画像は「元祖天才バカボン DVD-BOX 1」のDVD販売ページにアクセスできます。

ヒット曲

また逢う日まで/尾崎紀世彦

また逢う日まで

もともとは1969年(昭和44年)、三洋電機(現・パナソニック)のエアコンのCMソングの候補曲として、作曲:筒美京平、作詞:やなせたかしで完成したが、スポンサー側の方針変更により採用されなかった。

その後、阿久悠によって2度の作詞変更の後、尾崎紀世彦が歌唱する「また逢う日まで」が誕生した。オリコンシングルチャートで1位を獲得、同チャート集計では100万枚に近いセールスを記録する大ヒットになった。

同年12月31日、初の第13回日本レコード大賞・大賞と第2回日本歌謡大賞・大賞をダブル受賞する。

同日に開催された『第22回NHK紅白歌合戦』に白組トップバッターとして初出場。

画像は「ゴールデン☆ベスト」のCD販売ページにアクセスできます。

わたしの城下町/小柳ルミ子

「みんなの恋人」というキャッチフレーズを持ってデビューした小柳ルミ子のファースト・シングル。

国鉄キャンペーン「ディスカバー・ジャパン」の流行もあって、オリコンチャートでは、その後通算12週にわたって週間1位を独走し、1971年の年間シングルチャートの第1位となった。

1971年暮れ『第13回日本レコード大賞』の最優秀新人賞などを受賞している。

大晦日には『第22回NHK紅白歌合戦』に初出場。同じく初出場の南沙織と11月デビューの天地真理とともに、翌1972年ごろからは1970年代の "新三人娘" と言われた。

画像は「わたしの城下町」のCD販売ページにアクセスできます。

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