57歳~58歳 1966年(昭和41年)生まれ
ここでは1966年の流行や出来事を表示しています。
出来事
ビートルズ来日 / 武道館ライブ
1966年6月29日、ビートルズを乗せた飛行機は台風の影響でフライトが遅れ、彼らが日本に到着したのは、明け方午前3時39分であった。
「世界最高の人気グループ」と報じられた4人組の到着までに、2000人近いファンが空港ロビーに設けられた関門で追い返されたという。
この時、ビートルズの武道館ライブは、3日間の昼・夜公演で、計5回行われた。
コンサート会場での警備は万全でアリーナ席にはお客さんを入れず、観客は席を立ちあがることも禁止され、比較的静かなコンサートとなった。
司会はE.H.エリック。内田裕也、尾藤イサオ、ジャッキー吉川とブルーコメッツ、寺内タケシとブルージーンズ、ザ・ドリフターズ等が前座で演奏した。
夜7時、ビートルズは1万人のファンの歓声の前で、35分間にわたり11曲を披露した。
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グループサウンズ・ブーム到来
ビートルズの影響により刺激を受けた若者達のバンドは「グループサウンズ」へと発展していった。
1966年9月にリリースされたザ・スパイダーズの「夕陽が泣いている」が販売枚数120万超の大ヒットを記録し、グループサウンズ・ブームに拍車が掛かった。
翌年の1967年には、ザ・タイガースが衝撃のデビューを果たし一大ブームとなっていく。
他にブルー・コメッツ、ザ・テンプターズ、ザ・ワイルド・ワンズ 、ビレッジシンガーズ等多くのグループがあった。
1966、1967年頃のピーク時のレコード売り上げはビートルズを遥かに凌駕し、特に若い女性ファンたちの熱狂は凄まじいものだったが、そのブームは1970年を挟んで5年ほどしか持続せず、同世代の学生運動に傾倒していた若者たちからは、ミーハーで堕落した商業主義音楽との烙印を押され、基本的には体制側の音楽とみなされていた。
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新三種の神器/3C
1960年代半ばのいざなぎ景気時代、カラーテレビ (Color television)・クーラー (Cooler)・自動車 (Car)
の3種類の耐久消費財が新・三種の神器として喧伝された。
この3つは英語の頭文字をとって3Cとも呼ばた。
この3つのCの中で一番最初に普及したのはカラーテレビだった。
この中でカラーテレビは、1964年の前回東京オリンピック開催を契機にグッと普及が進み70年代序盤に白黒テレビと主役を交代、80年代になるとほぼ10割の世帯に普及した。
余談であるが、現代最近の三種の神器は何?と聞かれれば、一般的には「ロボット掃除機」 「全自動洗濯乾燥機」 「食器洗い機」を指すことが多いようだ。
流行語
シェー
「おそ松くん」日本漫画史に名を残す赤塚不二夫の傑作漫画であるが、「天才バカボン」以前に描かれた作品で、赤塚のギャグ漫画家としての確固たる人気を確立した。
「週刊少年サンデー」などの少年雑誌に掲載されていたが、1966年ついにテレビ放送がスタートした。
「シェー」は、『おそ松くん』の登場人物イヤミが行うギャグ。一般に、とても驚いた時に下記のポーズを取りながら「シェー」と叫ぶ。
このギャグは1960年代に日本全国を席捲した。
「おそ松くん」アニメ第1作放映時には、「ビルダー・シェー」という商品名の足が半円状になった踏み台が売り出され、その上に立ってバランスを取りつつ「シェー」をする遊び方が推奨されていた。
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びっくりしたなー、もう
「びっくりしたなー、もう」は「てんぷくトリオ」の三波伸介ののギャグである。
てんぷくトリオは、1960年代から1970年代にかけて活躍した三人組のお笑いグループ。
演芸ブームの一つである「トリオブーム」において、中心的存在を担った。
こののギャグは、幼少期の息子が口にした言葉をステージで使ったら受けたという説や「大正テレビ寄席」初出演時、国定忠治役の戸塚がタイミングを間違えて突然抜刀、驚いた伸介のとっさの一言だったという説があるが、真相は不明である。
テレビ番組「笑点」の司会や「お笑いオンステージ」の「減点パパ」コーナーなどで人気を博したが、1982年12月解離性大動脈瘤破裂により52歳で急逝した。
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こまっちゃうな
映像作品
ウルトラマン(特撮TVドラマ)
サンダーバード(TV人形劇)
ハリスの旋風(TVアニメ)
『ハリスの旋風』(ハリスのかぜ)は、『週刊少年マガジン』1965年16号から1967年11号まで連載されたちばてつやの漫画作品、およびそれを原作とするテレビアニメである。
テレビアニメ1966年5月5日から1967年8月31日までフジテレビ系列局で放送された。
全70話。
モノクロ作品。
主人公が暴力的なキャラクターであるため、当初は番組への批判が多かったが、その後、主人公、石田国松が持ち前の運動神経を活かして野球部、剣道部、ボクシング部、そしてサッカー部で活躍し、どの部も大会で優勝させてしまい、どの部でも最初はトラブルを起こすが、何故かどの部の幹部も国松に惹かれていくという内容に、次第に批判は下火になり、高視聴率を維持し続けた。
主人公の声は大山のぶ代が担当した。
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魔法使いサリー
泣いてたまるか(TVドラマ)
「泣いてたまるか」は、TBS系列で1966年から1968年まで放映された、1話完結形式の連続テレビドラマ。
渥美清、青島幸男、中村嘉津雄が主演を務め、1986年には西田敏行主演によるリメイク版が放送された。
また、テレビ放映の好評により、コント55号の坂上二郎を主人公として1971年に映画化された。
この作品は、渥美清主演で毎回違う役柄をやるというコンセプトではじまった。
監督、脚本も毎回異なっておりバラエティに溢れていたが、渥美単独では大変だということで、1966年10月の2クール目の第14回から青島幸男と隔週交代で出演することになる。
都会的な青島の加入により、番組はバリエーションも広がり人気を集めた。青島の降板後は再び渥美の単独主演になったが、職業としては先生にほぼ統一されてしまい、当初の設定とは異なったものとなった。
1967年10月から再び中村嘉津雄との交互の出演体制になり、当初の設定である毎回違った役柄、職業という基本路線に戻った。
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奥さまは魔女(TVドラマ)
「奥さまは魔女」(原題:Bewitched)は、1964年から1972年までアメリカのABCで全254話が放送された、
シチュエーション・コメディのテレビドラマ。日本でも1966年から日本語吹替版がTBSと毎日放送で放映された。
「奥さまの名前はサマンサ。そして、だんな様の名前はダーリン。ごく普通の二人は、ごく普通の恋をし、ごく普通の結婚をしました。でも、ただひとつ違っていたのは・・・奥さまは魔女だったのです!」
広告代理店に勤めるダーリン・スティーブンスが結婚した相手、サマンサは魔女だった。
彼女の結婚に反対する母親のエンドラを初めとする彼女の親戚たちも現われ、スティーブンス家に次々と珍騒動が巻き起こる。
画像は「奥さまは魔女」のプライムビデオにアクセスできます。
ヒット曲
君といつまでも
バラが咲いた/マイク真木
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