1964年(昭和39年)生まれ

出来事

東海道新幹線が開通

東海道新幹線が開通

「本当に東京オリンピックに間に合うのか?」と心配されていた東海道新幹線だったが、東京五輪を9日後にひかえぎりぎりセーフで、1964年10月1日にが開通した。

これは、3,800億円の巨費と5年の歳月をかけたわが国の国鉄の威信をかけた一大事業だった。

この「ひかり号」(公募によって選ばれた列車名)は今まで東京ー大阪間が6時間半かかっていたのに対し、4時間で結ぶことができた。

今では廃止されてしまったが、食堂車があり、またビュッフェで軽食やコーヒーを楽しむ事も出来た。

東海道新幹線はこの50年間、死亡事故もなく、ビジネス、観光、地方経済に大きな影響を与え、日本人のライフスタイルを変えた。

東京オリンピック開催

東京オリンピック1964

1964年10月10日、第18回オリンピック競技大会がついに東京国立競技場で開催された。

アジアで初めての五輪で、世界中に宇宙中継されたのもオリンピック史上初めてのことで、ほとんどの日本人が毎日テレビの前に釘付けになった。

94カ国、5541人の選手が参加、日本中はオリンピックムード一色に包まれ、数々の興奮と感動に酔いしれた。

このオリンピックは戦後復興から高度成長期へとつながるシンボル的な存在で、多くの人たちに鮮烈な記憶として残っている。

日本選手団は大活躍し、金メダル16、銀メダル5、銅メダル8、計29個(獲得数は、米国、ソ連に続き3位)のメダルを獲得し大会は大成功を成し遂げた。

画像は「1964年の東京オリンピック」の書籍販売ページにアクセスできます。

流行語

みゆき族 / アイビー・ルック

アイビー

スモッグ(smog)とは、smoke(煙)とfog(霧)の混成語。石炭・石油の大量消費によって、大都会や工場地などで生じる大気汚染の事を指す。

また光化学スモッグは、工場や自動車の排気ガスなどの有害物資に日光に含まれる紫外線の影響で光化学反応を起こし生じる大気汚染の事を指す。

スモッグは元々ロンドンで古くから使われていた言葉で、大都会となった東京でも初めてスモッグ警報が出た事により、この言葉が一般に広く知れ渡っていった。

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オリンピックから生まれた流行語

男子体操から「ウルトラC」、女子バレーボールから「根性」「おれについてこい」など、オリンピックから多くの流行語が生まれた。

特に、大松監督率いる女子バレーボールチームは「東洋の魔女」と呼ばれ、最も日本中を興奮させた。

チームメンバーは小柄な体格をカバーする為に編み出された「回転レシーブ」を駆使して、最終戦のソ連相手に勝利した。

鬼監督と言われていた大松は「バレーにヒーローはいらない。根性が大切なのだ」と語った。この「根性」は流行語となり、様々な分野に影響を与えた。

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食品

瓶牛乳と揚げパン(給食)

瓶牛乳

1949年(昭和24年)頃、ユニセフからの寄贈で「脱脂粉乳」が始まった。

アルミ製の大きなバケツで教室に運ばれ、しゃくしで1杯ずつアルミカップに注がれていたが、1964年(昭和39年)から瓶入りの委託乳になった。

委託乳とは牛乳と脱脂粉乳の混合の牛乳である。ちなみに始まった当初は牛乳と脱脂粉乳の割合は3:7だった。

瓶に入った普通の生乳100%使用の牛乳が始まったのは1966年(昭和41年)のことだった。

また、同年1964年に揚げパンが誕生した。

外側は甘くサクッとしていて中はふわふわしているパンである。

揚げパンは今でも当時を懐かしむ人や、当時揚げパンが好物だった人に大人気で専門店が存在するほどである。

かっぱえびせん

かっぱえびせんは、カルビーが製造している小麦粉とエビを主原料とするスナック菓子である。

1964年に発売され「やめられない、とまらない」というキャッチコピーで人気商品となった。

当初は吸湿性が高いため湿気を吸ってしまい当初の売り上げは芳しくなかったが、湿気を防ぐため袋入りにしたところ売上が向上した。

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映像作品

愛と死を見つめて(映画)

愛と死を見つめて

顔に軟骨肉腫ができる難病に冒されていた大島みち子(ミコ)と、それを励まし支えとなっていた恋人、河野実(マコ)による実話。

大島みち子、河野実の書簡集を「越後つついし親不知」の八木保太郎が脚色「鉄火場破り」の斎藤武市が監督した青春もの。撮影もコンビの萩原憲治。

1964年(昭和39年)9月19日公開。モノクロ・シネマスコープ、118分。配給収入は4億7500万円。

キャスト:吉永小百合・浜田光夫・内藤武敏

大学生の高野誠は、入院先の病院で小島道子と出会った。

かわいくて清純な道子に、誠は一目惚れ。

しかし二年後に再会したときも、道子は相変わらず病院生活を送っていた。

どうにか高校を卒業した道子だったが、軟骨肉腫が再発し入院。

誠は道子との文通を続け、時間ができると病院へ見舞いに行くようになる。

しかし道子の病状は悪化、命を守るために顔半分を失う手術が必要となった。

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ひょっこりひょうたん島(TV人形劇)

「ひょっこりひょうたん島」は、日本のテレビ人形劇で、1964年から1969年まで放送された。

制作はフジテレビと東京ムービー(現:トムス・エンタテインメント)。

主人公の「ひょうたん太郎」が、ひょうたんの実の家族や友達と共に、ひょっこりひょうたん島での日常生活や冒険を描く。

島にはさまざまな不思議な生き物やキャラクターが登場し、ひょうたん太郎たちは彼らとの交流や問題解決に奮闘する。

愛らしいキャラクターデザインや心温まるストーリーが視聴者からの支持を集め、長く親しまれた。

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書籍

されどわれらが日々

されどわれらが日々

されどわれらが日々は柴田翔著作のこの時代を象徴する歴史的青春小説。第51回芥川賞受賞作

ストーリー:私はその頃、アルバイトの帰りなど、よく古本屋に寄った。

そして、漠然と目についた本を手にとって時間を過ごした。

ある時は背表紙だけを眺めながら、三十分、一時間と立ち尽した。

そういう時、私は題名を読むよりは、むしろ、変色した紙や色あせた文字、手ずれやしみ、あるいはその本の持つ陰影といったもの、を見ていたのだった。

憂鬱ななかにも若々しい1960年代の大学の青春を描いた。

画像は、柴田翔さんの著書「されどわれらが日々」の販売ページにアクセスできます。

アンネの日記

1926年、ドイツで裕福なドイツ系ユダヤ人家庭の二女として生まれたアンネはナチスの迫害を逃れ、一家でオランダのアムステルダムに移住。

1944年、姉マルゴーの召喚を機に一家で隠れ家生活に入る。

ついに1944年、ナチにより連行され、最後はベルゲン=ベルゼン強制収容所でチフスのため15歳で亡くなった。

ナチスに捕らわれる前まで書き続けていた日記には、自分用に書いた日記と、公表を期して清書した日記の2種類がある。

本書はその二つを編集した「完全版」に、さらに新たに発見された日記を加えた「増補新訂版」。

ナチ占領下の異常な環境の中で、13歳から15歳という多感な思春期を過ごした少女の夢と悩みが瑞々しく甦る。

ユネスコ世界記憶遺産。

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ヒット曲

明日があるさ/坂本九

明日があるさ

作詞は青島幸男、作曲・編曲は中村八大。

自分に自信が持てず、意中の女性に恋心を打ち明けられないにもかかわらず、前向きに日々を過ごす男子学生の思いをコミカルに表現している。

当時80万枚以上のセールスを記録した。

1964年2月からは日本テレビで、本楽曲をヒントにした同名の音楽バラエティ番組『明日があるさ』が放送された。

同番組では坂本がホストを務め、作詞を手がけた青島も出演した。

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愛と死をみつめて/青山和子

1964年発表の作詞:大矢弘子、作曲:土田啓四郎、歌:青山和子の「愛と死をみつめて」は累計売上は70万枚以上を記録し大ヒットした。

カップリングは「若きいのちの日記」を収録。

1964年レコード大賞受賞。

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