1961年(昭和36年)生まれ

出来事

ソ連が人類初の有人宇宙飛行に成功「地球は青かった」

地球は青かった

1961年4月12日、世界初の人を乗せた人工衛星ヴォストーク1号がソビエト連邦によって打ち上げられた。

この時、人類で初めて宇宙に行ったユーリ・ガガーリンの、「地球は青かった」の言葉は、世界に残る名言となり、有名になった。

世界初の人を乗せた人工衛星を打ち上げた事を記念するため、4月12日を「世界宇宙飛行の日」の記念日となった。

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東ドイツがベルリンの壁設置

ベルリンの壁

1961年8月13日、東ドイツ政府はベルリンの東西を分ける境界線に深刻な制限を加えるため、ベルリンの壁の建設を始めた。

この壁は東西ベルリンの間を封鎖し、東ドイツ市民が西ベルリンへの亡命を防ぐことを目的とした。

この壁は鉄条網とコンクリートの塊でできており、警備員や監視塔によって厳重に警備された。

ベルリンの壁は冷戦の象徴として世界的に知られ、東西の対立を象徴する存在となった。

この壁は28年間にわたって存在し、数千人が逮捕されたり死亡したりするなどの悲劇が起こった。

1990年に東西ドイツが再統一した後、ベルリンの壁は取り壊され、ドイツ統一のシンボルとなった。

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大鵬・柏戸が横綱同時昇進

柏戸対大鵬 剛と柔

1961年9月場所、大相撲で大鵬と柏戸が横綱に同時昇進した。

大鵬はモンゴル出身で初の外国人横綱であり、柏戸は現役力士からの昇進で珍しいケースだった。彼らの昇進は、横綱昇進に関する厳格な条件が緩和されたことを示しており、力士の出身国や経歴に関わらず、実績や能力を重視する風潮が広まったことを象徴している。

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流行語

「お呼びでない?お呼びでない?こりゃまた失礼いたしました。」

植木等のギャグ

1961年、クレイジーキャッツの漫才コント「お呼びでない?お呼びでない?こりゃまた失礼いたしました」が放送された。

このネタは、植木等による代表的なギャグで、不意に来る来客に対する笑いを生み出した。

彼らのユーモアと即興能力は多くの視聴者に受け、後のクレイジーキャッツの代表的なネタの一つとなった。

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わかっちゃいるけどやめられねぇ

元々はハナ肇とクレージーキャッツの発売したレコードスーダラ節の歌詞のワンフレーズ。

人間の欲を一言で言い表した非常に意味深いフレーズであるが、この曲は大ヒットを記録し、 歌詞の中に出てくる「わかっちゃいるけどやめられない」という言葉が流行しました。

当初植木等はこの歌を歌うことに抵抗があったが、歌詞を見た僧侶であった父親が「これぞ人の心理をよく突いている」と評したことがあった。

元々は「こりゃシャクだった」のB面を埋めるために作られた曲であったが、こちらのほうがヒットしてしまい、後にA面とB面が入れ替えられている

画像は「スーダラ節 わかっちゃいるけどやめられねぇ」のプライムビデオにアクセスできます。

おもちゃ

プラレール

プラレール

タカラトミーが発売・販売している鉄道玩具。

1961年に初の電動式である、「電動プラ汽車セット」発売。

この時早くも、前述した定義による編成となった。

「青いプラスチック製のレールの上を、単2乾電池または単3乾電池1本で走る3両編成の列車」が製品の基本構成。

ただし、3両編成に当てはまらないものも発売されている。

製品は主に「鉄道が好きな15歳までの子供」を対象として作られているが、生産が長期にわたるため大人のファンも多数存在し、名鉄モ510形電車のような「大人向け」車両も発売されている。

画像は「プラレール S-31 E233系湘南色」の販売ページにアクセスできます。

映像作品

シャボン玉ホリデー(TVバラエティ)

シャボン玉ホリデー

「シャボン玉ホリデー」は、1961年6月4日から1972年10月1日、および1976年10月9日から1977年3月26日まで日本テレビで放送されていた音楽バラエティ番組である。

既に人気絶頂であったザ・ピーナッツを中心にした番組としてスタートしたため、「ピーナッツ・ホリデー」というタイトルにする予定だったが、番組スポンサーが「牛乳石鹸」だったため「シャボン玉ホリデー」となったもの。同年8月、クレージーキャッツの「スーダラ節」という大変奇妙で愉快な曲の大ヒットによって、シャボン玉の人気もうなぎ昇りになった。第1期の主な出演者は以下の通りである。その他にも、多くのスターがゲスト出演した。

ザ・ピーナッツ、ハナ肇とクレージーキャッツ、白木秀雄、なべおさみ、松崎真、小島正雄、前田武彦、小松政夫、青島幸男、伊東ゆかり、中尾ミエ、園まり、布施明、玉川良一、藤村有弘、ダークダックス、スリーファンキーズ、ジャニーズ、ザ・タイガース、ジャッキー吉川とブルーコメッツ、井上順。

画像は「クレージーキャッツ メモリアル DVD-BOX」の販売ページにアクセスできます。

ズバリ当てましょう(TVバラエティ)

ズバリ当てましょう

ナショナルが提供する視聴者参加番組で、テーマに沿って登場したものの値段をノーヒントを当てるクイズである。

景品の「ズバリ賞」は100万円相当のナショナルの電化製品一式だった。

正解でなくても、内輪で一番近い値段に設定した解答者には問題となった品物がプレゼントされた。

景品が当時の平均生活水準からすると高額な商品だったため、出場希望者が殺到した。

ヒット曲

スーダラ節/ハナ肇とクレイジーキャッツ

スーダラ節/ハナ肇とクレイジーキャッツ

「スーダラ節」はハナ肇とクレージーキャッツ、とりわけ植木等が爆発的な人気を得るきっかけを作った曲で、作詞は青島幸男、作曲は萩原哲晶である。

レコードは1961年8月20日、東芝音楽工業(現:ユニバーサル ミュージック合同会社)から発売され累計売上は80万枚であった。

画像は「ハナ肇とクレージーキャッツ(紙ジャケット仕様)」のページにアクセスできます。

銀座の恋の物語/石原裕次郎、牧村旬子

銀座の恋の物語

「銀座の恋の物語」は、1961年に発売された石原裕次郎と牧村旬子のデュエット曲である。

今日でもカラオケでよく歌われるデュエット曲として有名である。

石原裕次郎と浅丘ルリ子主演の映画『銀座の恋の物語』の主題歌でもある。

画像は「銀座の恋の物語」のCD販売ページにアクセスできます。

上を向いて歩こう/坂本九

日本のポップス史上、歴史に残る名曲「上を向いて歩こう(英題:スキヤキ、SUKIYAKI)」が生まれたのは1961年、昭和36年のことだった。

作詞は永六輔、作曲は中村八大、歌は坂本九であるが、ビルボード誌の1963年6月15日付において、日本出身者として唯一となる「Hot100週間」1位を獲得した。

同誌の1963年度年間ランキングでは第10位にランクインを伝えた。

坂本九は「上を向いて歩こう」の他、「見上げてごらん夜の星を」、「明日があるさ」等数多くのヒット曲を出し、全世界におけるレコードの売上は1500万枚以上に達した。

映画や舞台の俳優、テレビ番組の司会など多岐に渡り活動していた。

1985年8月、日本航空123便墜落事故に巻き込まれ43歳で死去した。

画像は「上を向いて歩こう/坂本九」のCD販売ページにアクセスできます。

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