1959年(昭和34年)生まれ

出来事

伊勢湾台風

伊勢湾台風

9月26日に上陸した伊勢湾台風は、死者・行方不明者5,098人、被害総額5,964億円という甚大な被害をもたらしました。

伊勢湾台風は、非常に強い勢力を維持しながら日本列島を縦断しました。最大風速は50m/sを超え、暴風域の直径は700kmにも達しました。また、伊勢湾周辺では高潮が発生し、名古屋港では3.89mを観測した。

この台風は、東海地方を中心に甚大な被害をもたらしました。高潮による浸水被害や河川の氾濫などが発生し、家屋や船舶が流失した。特に、名古屋市南部では大きな被害が発生し、死者・行方不明者3,200人以上を出した。

この台風をきっかけに、災害対策の強化だけでなく、都市計画の見直しや防災意識の向上が図られ、日本の社会に大きな影響を与えた。

画像は「忘れない 伊勢湾台風50年」の書籍販売ページにアクセスできます。

昭和基地に置き去りにしたタロとジロの生存確認

タロとジロ

1958年2月、日本の南極観測隊は昭和基地で第1次越冬隊と第2次越冬隊の交代作業を進めていた。
ところが、あまりの悪天候のため第2次越冬は急きょ中止となり、関係者全員が南極から脱出した。

隊員たちと苦楽を共にし、重いそりを引いて貢献してきた15匹の樺太犬は、救出する余裕がなく、やむなく基地に残された。

1958年に南極観測隊が昭和基地に残してきた樺太犬15匹のうち、タロとジロが1年後に生存していることが確認された。

厳しい南極の環境を生き抜いたタロとジロの物語は、国民に感動を与え、生命の強さを象徴するものとして語り継がれている。

画像は「タロとジロ 南極で生きぬいた犬 (講談社青い鳥文庫) 」の書籍販売ページにアクセスできます。

流行語

八頭身

八頭身

「八頭身」は、1953年にアメリカのミス・ユニバース・コンテストの審査基準が「八頭身」として発表されたことにちなんで流行した。
八頭身とは、身長が頭の長さの約8倍であることで、女性の理想のスタイルとされている。

1959年には児島明子が日本人として初めてミス・ユニバースで優勝したが、 国内では小柄なモデルがもてはやされるようになった。

八頭身よりも「3C(ちいさい・かわいい・かっこいい)」が重視され、 「日本人らしい、小型でも高性能のモデル」をトランジスターグラマーと呼ぶこともあった。

おもちゃ

プラスチック汽車レールセット(プラレール)

プラレール

1959年に発売された、プラレールの原型「プラスチック汽車レールセット」。

当時は、手で転がして遊ぶタイプで、2年後の1961年に電池を使用して走る「電動プラ汽車セット」が発売されました。

プラレールは、現在でも世代を問わず愛されているロングセラー玩具です。

画像は「タカラトミー(TAKARA TOMY) プラレール 京急2100形 KEIKYU BLUE SKY TRAIN」の販売ページにアクセスできます。

※写真は現在販売されているもので、1959年当時のものではありません。

映像作品

リオ・ブラボー

1959年に公開された西部劇映画『リオ・ブラボー』は、ハワード・ホークス監督、ジョン・ウェイン主演の作品。

原作はB・H・マッキャンベルの短編小説で、テキサス州のメキシコ国境近くの町リオ・ブラボーを舞台に、保安官チャンスが町を牛耳るボスと死闘を繰り広げる姿を描いている。

派手なガンファイト場面満載で、歌あり恋ありの痛快な作品だ。

映画のタイトルにある「リオ・ブラボー」は、スペイン語で「怒れる川」を意味する。

画像は「リオ・ブラボー」のDVD販売ページにアクセスできます。

書籍

にあんちゃん

にあんちゃん

『にあんちゃん』は、安本末子(やすもと すえこ)による著書。

1958年に初版が出版され、1959年に日本中が泣いたベストセラーとなる。

本書は、1943年に佐賀県で生まれた安本が10歳の頃(小学校3年生~小学校5年生)の体験を綴った日記に基づいている。

幼くして両親を亡くし、貧困と不安が押し寄せる中で、冷静な明るさを見失わず、日記を付け始めました。

1957年、その日記に感動した長兄が光文社に送り、カッパブックス「にあんちゃん」が刊行された。

本書は、どん底の貧しい生活の中で明るく生きぬく10歳の少女の日記。

昭和28年から親もない家もない兄弟4人が、きびしい現実の中で、くじけることなく、いつもはげましあって生きる姿が描かれている。

画像は「にあんちゃん (角川文庫) 」の書籍販売ページにアクセスできます。

ヒット曲

黒い花びら/水原弘

黒い花びら/水原弘

水原弘の「黒い花びら」は、1959年7月に東芝レコードから発売されたシングル。
作詞は永六輔、作曲は中村八大である。

この曲で水原弘は1959年に創設された第1回日本レコード大賞を受賞し、一躍スター歌手となった。異例の大ヒットを記録し、歌手役で出演した東宝映画「青春を賭けろ」でも話題となる。

水原弘は1935年11月1日生まれ、1978年7月5日に肝硬変のため亡くなった。

画像は「ゴールデン☆ベスト 水原 弘」の販売ページにアクセスできます。

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