66歳~67歳 1957年(昭和32年)生まれ
ここでは1957年の出来事を表示しています。
出来事
日本観測隊が南極大陸初上陸
1957年(昭和32年)1月29日、日本南極観測隊の西堀栄三郎隊長率いる10名が、南極大陸に初上陸を果たした。
観測船「宗谷」は1956年11月8日に東京を出港し、1957年1月8日に南極昭和基地に到着。
その後、西堀隊長は犬ぞり隊を編成し、南極大陸への上陸を目指した。
上陸隊は、西堀隊長をはじめ、犬ぞり隊員6名、医師、カメラマン、測量士で構成されていた。
初上陸地点は、昭和基地から南西約40km離れた地点で、後に「オングル島」と命名された。
上陸隊は、南極大陸の地形や地質、動植物などを調査し、日本の南極観測史上初の偉業を成し遂げた。
この歴史的な瞬間は、日本国内で大きなニュースとして報じられ、国民の南極への関心を高めた。
南極初上陸は、日本の南極観測事業の大きな節目であり、その後の南極科学の発展に大きく貢献しました。
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日本で初めて原子の火がともる
1957年(昭和32年)8月27日、茨城県東海村にある日本原子力研究所の実験用原子炉JRR-1で、日本初の原子炉臨界が達成された。
これは、日本が原子力開発の第一歩を踏み出した歴史的な出来事だ。
JRR-1は、出力50kWの軽水炉で、イギリスの設計に基づいて建設された。
臨界達成実験は、午前5時23分に開始され、燃料棒の配置を調整しながら慎重に進められた。
そして、午前9時15分、ついに原子炉が臨界状態に達し、日本初の「原子の火」がともった。
この成功は、関係者たちの長年の努力と技術力の結晶であり、その後、様々な研究開発に活用され、日本の原子力技術の発展に大きく貢献した。
また、日本初の原子力発電所である東海発電所の建設にもつながりました。
この歴史的な出来事を忘れることなく、今後も原子力の安全な利用と平和的な発展を目指していくことが重要だ。
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流行語
カックン
1957年に流行した「カックン」という言葉は、軽い失望や落胆を表す言葉として使われ、当時の若者を中心に広く使われた流行語だった。
この言葉は、当時の日常会話やメディアで広く使われた。
例えば、日常会話では、楽しみにしていたデートがドタキャンされた時:「カックン、最悪。」
試験の結果が思わしくなかった時:「カックン、落ちちゃった。」という使い方である。
1957年6月10日の平凡パンチという雑誌には、「『カックン』は、若者の間で最もホットな流行語だ。
この言葉を使えば、自分が最先端を行っていることをアピールできる。」という記事が掲載されていた。
デラックス
「デラックス」は、当時の日本社会において「モダン」「洗練された」といったイメージを持たせるキーワードで、「豪華」「高級品」を印象づけるために商品名などに使われた言葉。
当時の広告や商品によく見られたものだ。
1950年代の日本では、経済成長とともに消費者の需要が高まり、新しい商品やサービスが次々と登場しました。
これに伴い、商品名や広告文句に「デラックス」を使うことで、高級感や特別感をアピールすることが一般的でした。
広告や商品パッケージに「デラックス」の文字があると、消費者は特別感を感じ、購買意欲が高まったと言われている。
例えば、高級な家具や家電製品の広告では、「デラックスな暮らしを手に入れましょう」といったキャッチフレーズが使われ、人々の憧れを刺激しました。
おもちゃ
ホッピング
ホッピングは、1957年頃に子供の間で流行した。
バネのついた棒に乗って跳ぶ遊びで、浮遊感を味わうことができる。
アメリカの女性のダイエット&美容器具である「ポゴスティック」がルーツとされている。
1955年頃に「ホッピング」と命名されたポゴスティックがアメリカより輸入販売され、1956年暮れから1957年春をピークに全国に流行した。
成長段階の子供のバランス感覚を養う触れ込みで大ヒットした。
しかし、「やり過ぎると胃下垂になる」という噂が広がり、ブームは沈静化して廃れていった。
棒の上端にハンドル、下部に足を乗せるバーとばねがついているおもちゃで、乗って飛び跳ねる遊ぶことができる。
遊び用としてはもちろん、体幹を鍛える効果も期待できるため人気がある。
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映像作品
水戸黄門
1957年の映画「水戸黄門」は、月形龍之介の映画生活38周年を記念して製作された作品。
当時の主演級スターの数十名がずらりと顔を揃えている。
出演:月形龍之介、中村錦之助、東千代之介、里見浩太郎、丘さとみ、若山富三郎 その他多数
諸国を漫遊中の水戸黄門一行は、江戸入りするや高田藩のお家騒動に巻き込まれてしまった。
そして、徳川幕府転覆の大陰謀と対決する。お馴染み、助さん・格さんをお供に、波瀾万丈の大活躍を繰り広げる物語。
東映時代劇全盛期の最大のヒット作となった本作。水戸黄門の決定版といわれ、いまだに語り継がれる娯楽時代劇の名作である。
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書籍
原田康子/挽歌
ヒット曲
有楽町で逢いましょう/フランク永井
1957年に発売されたフランク永井の「有楽町で逢いましょう」は、作詞:佐伯孝夫、作曲:吉田正で、当時流行していた百貨店そごうの宣伝キャンペーンのために作られた歌謡曲だった。
歌詞は、都会の喧騒の中で偶然再会した男女の淡い恋物語を描いていて、当時としては珍しい都会的な歌詞と、フランク永井の甘い歌声が多くの人の心を魅了した。
この曲は発売直後から大ヒットとなり、オリコンチャートで1位を獲得した。
当時の日本レコード売上枚数100万枚を超える大ヒットとなり、フランク永井を代表曲となった。
この曲は、日本のみならず、台湾や香港などアジア各国でもヒットし、フランク永井はアジアの歌謡曲スターとしても人気を博した。
また、フランク永井の歌唱力も高く評価され、この曲によってフランク永井は「歌謡曲界のプリンス」と呼ばれるようになった。
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