1955年(昭和30年)生まれ

出来事

森永粉乳ヒ素中毒事件

森永粉乳ヒ素中毒事件

1955年、森永乳業株式会社徳島工場で製造された粉乳にヒ素化合物が混入し、近畿地方を中心に乳幼児にヒ素中毒患者が多数発生した。
被害者は1万3442人に上り、130人が亡くなった。

原因は、徳島工場で生産された育児用粉乳の中に大量のひ素化合物が混入していたことであった。ひ素は乳質安定剤として使用した「第二燐酸ソーダ」に含まれており、粉乳中のひ素化合物の濃度は乳児が飲めば急性ないしは慢性ひ素中毒を 引き起こす量であった。

この事件により、被害者やその家族は、長年にわたる健康被害や後遺症に苦しむことになった。
森永乳業は、経営危機に陥り、食品に対する信頼が失墜し、食品業界全体に大きな打撃を与えた。

森永粉乳ヒ素中毒事件は、戦後の日本社会に大きな衝撃を与え、食品安全に対する国民の意識を高め、食品衛生法の改正や、食品製造業における品質管理体制の強化などの対策が講じられた。

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流行語

ノイローゼ

ノイローゼ

戦後、日本は高度経済成長期へと突入し、社会は大きく変化した。人々の生活を豊かになっていくが、都市化や人間関係の複雑化などで、ストレスの多い社会環境を生み出した。
また、テレビやラジオなどの普及により、情報が大量に人々に流れ込むようになった。

ノイローゼは、当初は神経症を指す医学用語だったが、日常的には悩んでいる状態やストレスを表す言葉として使われる様になり、高尚な病気になったような気がすることから、「主婦ノイローゼ」「団地ノイローゼ」「育児ノイローゼ」などという形で流行語となり、日常語になっていった。
当時の人気雑誌には、ノイローゼに関する特集記事が掲載されていた。

ノイローゼは、当時の社会的な変化や人々の心の状態を反映している言葉であり、日本の歴史に深く刻まれた言葉であった。

三種の神器

三種の神器

1955年、日本では「三種の神器」と呼ばれる家電製品が爆発的に普及した。

三種の神器とは「白黒テレビ」・「電気冷蔵庫」・「洗濯機」である。
高度経済成長の始まりから都市化の進展・家電製品の技術革新・家電製品の価格低下・分割払い制度の普及背景に、これらの最新家電を揃えることは、生活を豊かにする象徴であり、国民の憧れの存在となった。

当時の人気テレビ番組「夢であいましょう」では、三種の神器がプレゼントとして提供された。

映像作品

赤穂浪士 天の巻・地の巻

監督:松田定次・脚本:新藤兼人・原作:大佛次郎
出演:片岡千恵蔵、中村錦之助、市川右太衛門、東千代之介、大友柳太朗
上映時間:225分 モノクローム

興行収入:2億7000万円(当時の大ヒット)キネマ旬報ベストテン:第3位

当時としては珍しい大作映画で、豪華キャストと壮大なスケールで話題になった。
時代劇映画としては異例の2部構成で、忠臣蔵の物語を忠実に再現している。
片岡千恵蔵演じる大石内蔵助の演技は、特に高く評価されている。
また、撮影中に、中村錦之助が乗馬中に落馬して負傷するアクシデントがあった。

この映画は、戦後の忠臣蔵映画ブームの火付け役となった作品と言われていて現在でも、時代劇映画の最高峰の一つとして評価されている。

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書籍

はだか随筆(佐藤弘人)

はだか随筆(佐藤弘人)

1955年に発売された書籍「はだか随筆」は、大学教授である佐藤弘人によって執筆された随筆集である。この本は驚異的なベストセラーとなり、多くの読者に愛された。
家庭や職場での身近な事柄の中に笑い、皮肉、ユーモア、風刺、考えさせられることなどがほど良くカクテルされ、生きることの豊かさ、楽しさが味わえる傑作随筆集である。

この本は、その白書的な正直さと厳粛な遊戯のバランスが絶賛され、1955年に大ベストセラーとなり、多くの読者に支持された。

「はだか随筆」は、日本の文学史において特別な位置を占めており、今でも多くの人々に読まれ続けている。

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ヒット曲

この世の花 /島倉千代子

この世の花 /島倉千代子

作詞:佐伯孝夫、作曲:吉田正
1955年10月に発売され、オリコンチャートで10週連続1位を獲得。売上枚数は50万枚を超え、当時としては記録的な大ヒットとなった。

この歌は日本の復興期にリリースされ、人々の希望と感動を表現してた。
歌詞は人々が困難な状況から立ち上がり新たな未来を築ることへの願いが込められていて、島倉千代子の力強い歌声とこの歌のメッセージは、当時の人々に勇気と希望を与えた。

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哀愁列車 / 三橋美智也

哀愁列車 / 三橋美智也

1956年にヒットした「哀愁列車」は、三橋美智也が歌った歌謡曲で、作詞は佐伯孝夫、作曲は吉田正による作品である。

この曲は、戦後の復興期に、失恋や別れを経験した人々の心情を歌った曲として、多くの人々に支持され、また、三橋美智也の切ない歌声も、この曲のヒットに大きく貢献した。

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