1950年(昭和25年)生まれ

出来事

千円紙幣 発行

1950年紙幣

1950年1月7日、日本銀行は千円紙幣を発行した。

表面には聖徳太子の肖像、裏面には法隆寺夢殿が描かれている。100円札がメインであった当時、すさまじいインフレに対応するために1000円札が発行された。

1963年(昭和38年)11月1日に絵柄が伊藤博文の1000円札が発行されるまで、1000円・5000円・1万円札の絵柄はすべて聖徳太子だった。この千円札は1963年11月1日に新千円紙幣(伊藤博文肖像)が発行されるまでの13年間流通した。

女性の平均寿命が初めて60歳を超える

女性の平均寿命

1950年、日本の女性の平均寿命が初めて60歳を越えた。しかし、この時点での平均寿命はまだ「先進国中最下位」だった。
戦後の復興が始まった昭和20年代の特に前半は食糧事情が大変に悪く、多くの人々が栄養失調の状態で、感染症が蔓延した。

当時の死亡原因の第1位は結核、次が肺炎・気管支炎、続いて胃腸炎と死因の上位をすべて感染症が占めていた。

その中でも、結核が最も恐れられていて、1945年(昭和20年)の敗戦の年は過去最高の死亡率(人口10万人に対して280.3人)を示し、1950年代までの結核蔓延状況がひどかったが、健康診断の実施、予防接種(BCG)の法的義務づけ、ストレプトマイシンなどの治療薬の普及、それに併せて、食生活の改善による栄養状態の向上と衛生環境の改善などの効果が徐々に表れていったのもこのころである。

第1回さっぽろ雪まつり開会

札幌雪祭り

北海道札幌市内の大通公園をはじめとする複数の会場で毎年2月上旬に開催される雪と氷の祭典。雪で作った大小の像を中心にしたものだが、すすきの会場を中心に氷像(氷彫刻)も展示される。

1950年に札幌観光協会と札幌市の主催によって開催されたのが始まり。企画には後援者の一員に名を連ねた北海タイムスが深く関与していた。これ以前に札幌には冬の祭がいくつかあったが、第二次世界大戦中に途絶えていた。雪像を作る祭のアイデアは、小樽市北手宮尋常小学校(のち小樽市立北手宮小学校(2015年度で閉校))で1935年2月から学校行事として始まった雪まつりからとられた。

初期の雪まつりで雪像を作るのは札幌の中学校・高等学校の生徒で、数は5、6基。はじめのうち雪像は高さ7メートルを限度としていたが、1953年の第4回で北海道札幌伏見高等学校(現・北海道札幌工業高等学校)が高さ15メートルの大雪像『昇天』を制作した。

流行語

貧乏人は麦を食え

貧乏人は麦を食え

所得倍増論で有名な故池田勇人は、大蔵(現在の財務)大臣だった1950年、「所得の少ない方は麦、所得の多い方はコメを食うというような経済原則に沿ったほうへ持っていきたい」と国会で答弁した。これが「貧乏人は麦を食え」と報道され、批判を浴びた。

失言を「切り取られた」かたちになって配信されることはよくあり「切り取られ」発言と呼ばれるが、その元祖がこの発言であった様だ。「所得の少ない人は麦を多く食う、所得の多い人は米を食うというような、経済の原則にそった方へもっていきたい」と述べたのである。

いかれぽんち

いかれポンチ

軽薄で頭が悪い間抜けな男性のことを指す言葉。

「してやられる」という意味の俗語『いかれる』と、「坊ちゃん・ぼんぼん」を意味する関西弁の『ぼんち』が転化した、『ぽんち』から成る合成語で「軽薄で間抜けな男性」を意味する。
1950年前後の流行語で、昭和時代にはよく使われたが年々使われることが少なくなっている。

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おもちゃ

スーパーマリオブラザーズ3 (FC)

スーパーマリオブラザーズ3

この年に、最も多くの売上となったゲームソフトがこの「スーパーマリオブラザーズ3」である。

それでも、一作目「スーパーマリオブラザーズ(1985年発売)」の国内の総売上数が681万本であることに対して、 本作では国内の総売上数384万本と半分には達したものの、落ち込んではいるようだ。

とはいえ、歴代のFC(ファミコンソフト)では、歴代三位の売上本数につけており、 本作も、相当なヒット作であったことは否定できない。

本作3では2での反省を生かして、アイテムやステージ数を増やすなど 多方面でボリュームアップがなされている。

※ただし、セーブ機能はない(徹夜でプレイした人も多いかもしれない。。。)

また、後発の据え置き機において、Wii/WiiUとSwitchにおいては 何らかの技術を使って、再び本作がプレイできる環境が出来ている。

※携帯機(ニンテンドー3DS)では完全移植によりプレイ可能だが、  SFC(スーパーファミコン)・任天堂64・キューブではプレイできない。

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映像作品

宗方姉妹

宗形姉妹

小津安二郎が松竹を離れ、はじめて新東宝で製作した作品。

日本の伝統的な価値観を大事にし、ニヒリストめいた夫に耐え続ける姉と、そんな姉に反発する現代的な妹の対比を通して、戦後の日本の家庭の崩壊を描く。死期を悟っている父と古風な姉と勝ち気な妹、姉を疑う病弱な夫と昔の恋人、その青年に思いを寄せる未亡人といった多彩で複雑な人間関係を田中絹代、高峰秀子、上原謙、高杉早苗ら松竹スターが演じている。

原作は大佛次郎。京都在住の父(笠智衆)から遠く離れ、生真面目で淑やかな節子(田中絹代)と陽気で奔放な満里子(高峰秀子)の姉妹は、節子の連れ合い三村(山村聰)と三人で東京に暮らしている。節子の営むバーの経営がうまく立ち行かない中、職につきもせず退廃的な日々を過ごす義兄の姿に強い不満を持っていた満里子は、姉の幸せを想うがゆえ、節子を三村と別れさせ、かつての恋人・田代(上原謙)とよりを戻させたいと考える。

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    細雪(谷崎潤一郎)

    谷崎潤一郎の細雪

    明治時代の東京を舞台に、家族の複雑な関係や女性の生き方を描いた谷崎潤一郎の小説。
    主人公の三姉妹とその家族の人間模様が描かれ、伝統と現代の間で揺れる日本社会の姿が浮かび上がる。

    画像は「細雪 中公文庫」の販売ページにアクセスできます。

    ヒット曲

    東京キッド/美空ひばり

    美空ひばりの東京キッドCD

    当時「天才少女歌手」と呼ばれた美空ひばりの初期の代表曲である。1950年9月に公開され、当時13歳のひばりが主演した松竹映画『東京キッド』の主題歌として製作された。明るく楽しいリズムの本楽曲と映画が共に大ヒットし、戦後混乱期の日本人に夢と希望を与えたと言われている。

    本楽曲は美空ひばりの全シングルの売り上げランキング第9位となっており、2019年に日本コロムビアが公表した累計シングル売上枚数は120万枚で、ひばりの楽曲の中で累計売上枚数第8位である。

    画像は「美空ひばりベストアルバム」のCD販売ページにアクセスできます。

    熊祭(イヨマンテ)の夜/伊藤久男

    伊藤久男のイヨマンテの夜CD

    熊祭(イヨマンテのよる)は、作詞・菊田一夫、作曲・古関裕而、歌・伊藤久男/コロムビア合唱団の歌謡曲。「イヨマンテ」とはアイヌ語で「送り儀式」のことで、「熊祭り」の字を当てることも多い。

    元々はNHKのラジオドラマ『鐘の鳴る丘』の劇中の山男をテーマとして、生放送の中、古関がハモンドオルガンで即興的に演奏した曲だった。山男が「アーアー」と口ずさむだけのメロディだったが、たまたま番組を聴いていた伊藤が、曲を気に入り採譜。菊田と古関もこれを気に入り、ひとつの作品として残すことになった。

    アイヌの儀礼「イオマンテ」とは、ヒグマなどの動物を殺して、その魂であるカムイを神々の世界に送り帰す祭りを意味している。「熊祭り」とも呼ばれる。

    画像は「熊祭(イヨマンテ)の夜」のCD販売ページにアクセスできます。

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